海灯祭
祭典・文化イベント
世界百科
海灯祭は璃月の毎年初めての満月の夜に開催される祭。
ステータス
名称: 海灯祭 · 国: 璃月 · 種別: 祭 · 関連イベント: 海灯祭(Ver.1.3)華々しき流年(Ver.2.4)華舞う夜の旋律(Ver.3.4)春立つ風を梳かす彩鳶(Ver.4.4)春光が描く桃符(Ver.5.3)
背景知識
1. 概要古き時代のには戦が多く、人々は遠征から戻る戦士たちに帰路を示すため、夜になると明るい光を灯した。時代が落ち着いた今、を放つ習慣は次第に記念の儀式となった。璃月人にとって灯火の継承は英雄たちの魂の不滅を意味する。海灯祭は年に一度、初めての満月の下で五日間にわたり開催される。その間人々は平和を祈り、厄運を追い払う。そして灯火が知恵を伝承し、英雄たちが海から帰ってくる。この祭りの伝統として、のとを作って夜空に飛ばすというものがある。海灯祭では皆で集まり霄灯が空に浮かぶのを見ながら、かつて璃月を守った英雄たちの魂が霄灯を辿って皆の元へ集えるように願うのだ。海灯祭は璃月の主要な祭りであり、のや、ののように重要な祭りである。2. 伝統2.1. のの(*1)はにおける団結の象徴である。遠い昔、英雄と人々は共に璃月を守っていた。今は平和な時代になったが、その団結の精神が消えないように巨大な明霄の灯を共同で建設する伝統が生まれた。海灯祭の最終日に全市民に見守られる中、それを飛ばすことが海灯祭で最も重要な儀式とされる。明霄の灯の中央には巨大なの石があり、その大きさで明霄の灯の大きさも決まる。浮生の石は明霄の灯の一番重要な材料で、市民から寄付される物はモラを除けば大体が浮生の石だ。浮生の石を寄付する時、ほとんどの人が自分の願いを石に刻んで祝福を願う。の北部で見つかる(らんせいせき)や、にいる飛行能力を失った古いが飛行能力を維持するために利用している(かせいせき)といった、貴重な種類も存在する。また、明霄の灯の造形は璃月を守って死んでいった英雄たちを記念するために、英雄生前の「仙体」を元に作られる。*1:パイモン、、望雅などは「めいしょうのとう」と発音しているが、過去に景明が「みょうしょうのとう」と発音していた場面があった。「めいしょう」と呼ぶ場面の方が圧倒的に多いため、こちらが正しいと考えられる。2.2. は海灯祭で最も賑わう場所で、多くの美味しい物や面白い物が屋台に出ている。霄市の屋台は璃月の各商会が年に一度、モラのためではなく、明霄の灯を建設するために開かれる。建設に必要な費用は主に総務司からの寄付金だが、材料やその他の物は、全て一般の人々が寄付したものだ。この建設に貢献する想いが込められていれば、どのような寄付も全て受け取ることになっており、例えばぬいぐるみを寄付した女の子も居た。このように、この盛大な祭りに参加することで「祝福」を受けたいという人も多くいる。また、霄市は商人たちと交流ができる場で、普段はケチに見える商人たちの本当の人柄を知る機会を提供してくれる。2.3. も海灯祭において欠かせない存在である。願い事を書いた短冊をという小さな提灯に入れて空に飛ばし、その願いを夜空の果てまで運んでくれる。紙を折り、芯を設置し、短冊を入れ、塗装する、このような手法で自分だけの霄灯を作ることで、璃月の伝統工芸を体験することができる。2.4. 花火海灯祭の伝統の一つに花火がある。花火はテイワット各地で見られるが、璃月には長い歴史と深い意味がある。璃月の天権であるによれば、璃月の先祖たちが初めて花火を作った時、それを「爆竹」と名付けたそうだ。強い光と大きな音を発するため、毒蛇や獣を追い払ったり、周囲への警告に使ったりしていた。当時は皆、外で農作業をしており連絡を取り合うのに不便を感じていたため、爆竹の大きな音は、必要時の伝達手段として利用された。その後、璃月港が正式に開港し、人々の生活も良くなり、百里も離れた場所で農業をする必要がなくなった。このようにして次第に爆竹に頼る必要がなくなった。しかし、爆竹を使って開墾に励んだ先祖たちの精神は、風習として人々に受け継がれた。そこで、先祖たちの逞しき精神を讃えるために、爆竹を改良したものを海灯祭期間中に放つことを計画した。また、海灯祭で打ち上がる花火は、大体がの長野原花火屋から購入されたものである。宵宮は、稲妻の花火をテイワット中に広めるという願いを叶えるため、南十字船隊のに頼んで花火を運んでもらった。鎖国中でからの輸入が制限されている際も、祭に花火は必要だとのことで輸入された。2.5. 凧凧は長い歴史を持っているとはいえ、特殊な儀礼で使うことを除き、多くの人が「民間のおもちゃ」だと認識している。軽い上に薄く、たった一本の糸で空高く飛べる紙の凧は、璃月の古今の魅力を載せた宝でもある。たとえば、凧が思いがけず飛んで行ってしまうと、人々は仙人が風で持って行ったと言う。こうして不運を吉兆として捉える。凧に名前や願い事を書いて、最後に糸を切って自由に飛ばす人もいれば、素敵な願いを凧の絵柄に込める人もいる。また、それぞれの絵柄には対応した願いがある。蝶の模様をあしらった凧は束縛を破り、自由や幸福を追い求めることと関係している場合が多い。ツバメトビは最も伝統的なもので、幸運や吉報を意味し、色によっても細かな違いがある。群玉閣の凧は最新のもので、最も売れている。豊かな富を象徴しており、この先、多くの財をなせるようにという祝福が込められている。凧に関連する古い詩として、以下のものがある。「紙鳶に託せし言葉、旅の者へ贈らん、天涯より未だ帰らざる人あり。」このように、昔の璃月の詩人は、よく凧で想いを表現したり、田園風景を詠んだりしていた。2.6. 璃月では毎年、海灯祭に祝福や願いを込めたを作って、家族や友人に贈る。完成品を買って贈り合うこともあるが、総務司は観光客が祝灯状を作れるように、「祝灯状相談所」を設置した。そして、書き物に縁のなかった人たちまでがこぞって自作するようになった。祝灯状には「」を書いたり、模様を入れたりもできる。古岩紋には特別な吉祥の意味が込められている。 飛雲商会は、毎年海灯祭の時期になると、仕事相手に贈り物と祝灯状を出す。行秋の曽祖父は毎年手書きで祝灯状を出すが、それが痩金体の小さな文字で、非常に達筆である。受け取った人に「どんな贈り物よりも価値がある、壁に飾りたいくらいだ」と言わせるほどだ。関連項目:2.7. はが特別に作ったもので、これを贈り合う文化がある。吉語銭には璃月のが刻まれており、十二種類の異なる模様がある。特別な模様の一つに「帝銭」がある。これは岩王帝君モラクスの模様が刻まれたもので、かつて岩王帝君が触ったとされている。特別な吉祥の意味が込められており、無事に帰れるよう守ってくれるという。は、厄除けやお守りとして商人たちに好まれている。日の紋には平和への願い、交の紋には天地調和、万物繁栄の意味が込められている。平安の紋はどこにいても安全で全てが上手くいくように、尺の紋は才能を存分に花開いていけるように、という願いが込められている。他にも、事業の成功や、モラを多く稼げるように願うものなど、様々な模様がある。関連項目:
イベント
1. 明霄、海に昇りてが初めて参加した海灯祭では、亡くなったの英姿を参考にのがデザインされた。これは月海亭が民衆の声を聞いて決定された。を記念する明霄の灯に使われたの石は、ここ20年で最も大きい石であった。海灯祭の期間中、間抜けな新米盗賊が進行を脅かすが、、、千岩軍の助けを借りて企みを阻止し、千岩軍に引き渡した。旅人は魈を明霄の灯を一緒に見るように誘うが、彼はこの時期の人の多いところは好きではないと断った。今年の明霄の灯が移霄導天真君と知っても答えは同じであった。それは所詮ただので、人が作った光るゴミだと捉えていた。旅人とパイモンは諦めず、望舒旅館の人通りの少ない場所に料理や霄灯を運び、魈に海灯祭を疑似的に体験させた。彼はそれを受けて、旅人の行動は奇怪で、人の心を理解するのは難しいと表現した。その後、旅人とパイモンは魈に璃月港の近くまで「護衛」を依頼した。璃月港の近くに着くと、何も悩みのない穏やかに暮らす人々と、殺戮と共にありすぎて苦行に慣れすぎた自分との違いを言及した。魈が別れを告げる時、旅人、の全ての灯り、平和を祈る全ての願いは自分に届くと告げた。関連項目: 2. 華々しき流年が参加した二回目の海灯祭でののは二匹の魚をモチーフとしてデザインされたと考えられる。明霄の灯を空に放つことがこれまでの祭りの中心であったが、燃えるような光と熱が人々の気持ちを結ぶことを期待して花火大会が催された。海灯祭に参加するために旅人とパイモンはを訪れ、と出会った。凝光は、花火は元々璃月の発明で、先祖たちが初めて作った時「爆竹」と呼ばれていたと説明した。さらに彼女は、花火を取り入れた祭りの計画についても説明した。それは、爆竹に改良を加えて花火大会に使用し、先祖の逞しき精神を讃えるというものだ。総務司は、花火大会をより特別なものにするために、花火を璃月各地に送り届けた。そして、時間を見計らって一斉に点火し、燃えるような光と熱によって人々の気持ちを結ぼうとした。この花火大会は璃月七星の玉衡が担当した。彼女は旅人とパイモンに仙人達の紹介を依頼し、佳節の贈り物を届けたいと申し出た。まずはを訪ねようと月海亭付近に赴き、ピンばあやと仙獣の血が流れる有名な法律家の二人と遭遇した。そこで贈り物として年越し用品や良質な絹を二巻き、希少な花の種を贈った。その後、に贈り物を届けるために訪問すると、偶然にもととも居合わせた。刻晴はに新しい花火を贈った。花火は精巧さの中に工夫が込められており、見た目も美しかったため、彼女はその贈り物を気に入った。また彼女はとは恐らく遊びに外出していると告げた。最後に望舒旅館に居るを訪問した。彼は贈り物が無駄になると言って受け取るのを断った。魈が海灯祭に対してこのような態度を取っている発端は、遥か昔に遡る。璃月の祭りの大半は、人を喰らう怪物が仙人によって退治された日だ。人々は仙人を模倣し、英雄を記念して妖魔を払う儀式を行う、それが徐々に祝祭へと発展したのだ。モラクスに鎮圧された璃月各地の魔神は、時に異様な怒りと憎しみを爆発させる。その中でも、海灯祭の夜は常軌を逸していた。命令を受けた魈は「靖妖儺舞」を行い、海灯祭の夜に魑魅魍魎と殺し合う。魈が海灯祭を嫌っているのは、それが原因なのだろう。仙人達に贈り物を届けた後、軽策荘に設置した花火が全て盗まれるというトラブルが発生した。刻晴は旅人、パイモンに加えて、軽策荘で居合わせたとと協力して花火を取り戻し、首謀者である宝盗団達を千岩軍に引き渡した。その結果、花火大会は無事に実施され、璃月の各地域の人々は美しい花火を楽しむことが出来た。この海灯祭では、仕事と休息のバランスの重要性もテーマとして取り上げられていた。凝光は刻晴が自分を追い詰めすぎだと心配し、煙緋は「休息はより良い仕事のために」と言い、留雲借風真君は「種をコツコツと植えるのは、収穫の喜びを味わうためであろう。」と述べた。旅人とパイモンは旅の終わりに、出会ってきた人々の言葉とのアドバイスをもとに、刻晴に休息の重要性を伝えた。関連項目:3. 華舞う夜の旋律が参加した三回目の海灯祭ののはを記念して作られた。そして、イリデッセンスツアーの主催者の一人である、ロックミュージシャン、の堂主であり「路地裏の漆黒詩人」の協力のもと、海灯祭と「イリデッセンスツアー」が協同して音楽祭が開催された。亡くなった仙人のは様々な珍しい宝を収集するのが好きで、自ら洞天を創り奇妙で珍しい宝を数多く陳列していた。やはその中の1つである。3-1. 海灯音楽祭がを訪れた理由はのドヴォルザークの先祖の話まで遡る。かつて先祖が旅の最中に、不意に足を踏み外して水に落ち、あと少しで溺れ死ぬというところで彼は抑揚ある音楽を耳にした。その音楽は彼が人生で聞いたものの中で一番美しく、一番感動的なものだったという。そのような危機にあっても、この世のものとも思えぬような美しい音楽に注意を引かれ、彼は自分が間もなく溺死するのだという事実さえ忘れるほどだった。ふと我に返ると、彼はいつの間にか岸へ戻っていることに気が付いた。少し離れたところには、浮世離れした雰囲気の見知らぬ女性が立っていた。彼の無事を確認するや否や、彼女は何も言わずに、ふらりと去って行った。追いかけて礼を言おうと思った彼だったが、二人は十数歩しか離れていなかったのに、どう追いかけてもその距離は一向に縮まらなかった。結局彼は仕方なく女性の後ろ姿と遠くの山河にお辞儀をして感謝の意を伝え、踵を返して故郷への帰路に着いた。故郷に戻ると、彼は楽器の演奏を勉強し、詩人のように歌い語りながら旅をして、この物語を各地へと伝えていった。その後、物語は言い伝えられる中で、芸術的なアレンジを加えられることも多くなった。女性はいつしか、天女とされるようになった。そしてやがて、フォンテーヌでは少しばかり名の知れた『天女の見下ろす湖畔』という伝説になった。林の水辺でいい腕の奏者が楽器を演奏すると、目に見えない天女が一緒にセッションしてくれると言われている。何世代も後、彼の子孫であるドヴォルザークは物語の原点である土地を訪ねて女性の子孫を探そうと考えた。彼は転々として半生をかけて探したが見つけられず、その成し遂げられなかった願いは、いつの日か執念に変わってしまった。ある時、ドヴォルザークはモンドの教会へ祈りを捧げに行き、風神に私を導いてくれと願った。そうして教会から出ると、目の前で木の葉の集まりが風に吹かれて、石門の方へ飛んで行った。すると親切なモンド人が「これは風が璃月へ導いているんだ」と彼に伝え、彼はそのままその道を進んだ。旅人とパイモンとの助けのもと、ドヴォルザークの先祖を救った女性が亡くなったを悼んでいただと判明した。彼女は帰終が逝ってしまった後は他の者とあまり付き合わないようになり、いつも一人で山頂に座って、琴を弾きながら考え込むようになった。その音は悲しみに満ちていたり、穏やかだったり、感情が高ぶったり、様々であった。何年も過ぎ、ようやく満足のいく曲が完成し、雲に向かって曲を奏でることでその喜びを示した。しかしそれ以来、その曲は演奏されていないという。琴の弦は切れていないが、知音はもう逝ってしまった。留雲、この曲は誰に聞かせればよい?(*1)そして、ドヴォルザークの先祖が耳にした音楽は、歌塵浪市真君が旧友を偲ぶその旋律であった。と旅人達はピンばあやの元に赴き、帰終について話を聞いた。ピンばあやは、その曲については、琴はもう随分長く弾いておらず腕がなまってしまったため、いつか準備が整ったら弾いてあげようと口にした。また、以下のように期待を寄せた。琴の音が再び奏でられれば、彼女もまた璃月港に舞う無数の砂塵のように…地上や空から近頃の繁栄ぶりを見て、どこかでこっそりとほくそ笑むやもしれんのう。その後、ドヴォルザークの企画で、海灯祭とイリデッセンスツアーが協同した海灯音楽祭が開催された。ドヴォルザークの演奏中、壮大な花火と美しく浮かぶ霄灯に交えて琴の旋律が聞こえてきた。その旋律の主はピンばあやの琴で、あのとき雲に向かって奏でられた旋律だと推測される。このようにして音楽祭は最高のクライマックスを迎えた。*1:「知音」は互いによく心を知り合った友、親友の意。中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から。3-2. 陰日向海灯祭の最中、は皆の1年の頑張りを讃え、美味しいものご馳走するために宴会を企画した。その宴会には、旅人とパイモンに加えて、友人の、、、往生堂の、貴賓としてが招かれた。宴会の中で、方士一門の重雲は降魔大聖とは表と裏で共に妖魔退治をしてきた間柄で、知り合いではないが長い関わりがあると伝えた。また、往生堂と仙衆夜叉の間にも関わりがある。魔神戦争中は争いが多発し、災禍が絶えず、人々は病や死による苦しみから逃れられなかった。仙衆は妖魔を払い、千岩軍は力を奮うも苦戦を強いられた。そんな中、往生堂は疫病の排除や亡魂を送る責務を全うした。戦乱の最中、こうして生死の境を明確に分けることで更なる災厄の訪れは免れた。宴会の途中、料亭に突如が現れた。彼は行秋と旅人とパイモンの以前からの知り合いである。また、魈は数日前に一帯を見回っていたところ、彼が演奏をしているところを見た。その音色は抑揚のある美しい調べで、心を落ち着かせるものだったため、思わず長く足を止めてしまったという。また、ウェンティのへの来訪の目的は海灯音楽祭が開催されると聞きつけ詩歌を創る者として、その誘惑に抗えなかったからだと語った。岩神モラクスであった鍾離と、風神バルバトスであるウェンティは知り合いだったが、この宴会では往生堂の客郷とモンドの吟遊詩人という役割を演じて初対面のごとく振舞った。ウェンティと胡桃は詩に関して意気投合し、いつか一緒に詩を詠もうと約束をした。そして、その後Ver.4.1限定イベント「流れゆく水に詩を紡いで」で約束は果たされ、モンドと璃月合同の詩歌大会「両国詩歌握手歓談会」を開催することになる。宴会中、胡桃は一番身分の尊い客人に次のお香を焚いてもらうという儀式を思いついた。その名誉ある役割を誰が担うかについて皆で議論した後、出席者全員と親しいパイモンが選ばれた。旅人の旅が平穏で順調に進み、かつ物語が単調にならなかったのは最高の仲間であり、ガイド兼親友のパイモンのおかげであると皆は考えた。皆の熱い声と拍手の中、パイモンは浮かれた様子でお香を焚いた。関連項目:4. 春立つ風を梳かす彩鳶が参加した四回目の海灯祭のテーマは凧だった。 璃月七星はの伝統を継承しつつも他国の技術も参考にするため、璃月の伝統工芸品である凧とのヒルデソンスが発明した「マシナリー式フローティング装置」を組み合わせることにした。璃月七星の天権であるは、スチームバード新聞社の記者を招き、この共同事業を推し進めた。この年は、総務司が海灯祭当日の夜に凧揚げの大会を開催した。璃月港でという名で暮らすは、子どもたちに凧の作り方を教えるために手作り凧教室を開くことにした。閑雲の友人であるとは、彼女が璃月港に移ってから山が静けさに包まれてしまったため、人の姿に化けて閑雲に会いに来た。二人はとと名乗った。人に化けた姿を初めて見たパイモンは彼らを宝盗団と勘違いしたが、二人は前回の海灯祭で調理神器を用いて腌篤鮮を料理したことや、それ以来その神器を使って料理を楽しんでいることを説明し、誤解は解けた。二人はマシナリー式フローティング装置のことを聞き、閑雲はその装置に対抗するために戸を閉ざして訪客を拒み、「縹錦」の改造に勤しんでいるだろうと推測し、邪魔をしないように璃月港を去ることにした。この海灯祭では心猿大将としても知られる仙衆夜叉を記念しており、のは彼をモチーフに作られた。彼は勇敢で戦闘に長けた夜叉一族だったが、服のデザインや製作にも長けていたという。彼の友人であったとは、は手先が器用で凧作りなど造作もなく、この時代にもし屋台でも開き凧の商売をしていたら、きっと千客万来であっただろうと述べた。もし弥怒が昔のように俗世に近づく機会に恵まれないのであれば、二人に凧を託し、商いが終わったら酒を持って酔うまで飲むのだとも述べた。仙人達は旧友との懐かしい思い出に耽りながら、彼の分まで平和な璃月港を眺めた。旅人とパイモンは凧の商店を眺めているとき、剣鞘鏢局の鏢師であると知り合い、閑雲の凧教室に招待した。凧教室には、、、が参加した。嘉明は教室を去る前に以下の言葉を残した。凧がどんだけ高く、遠くへ飛んだって、所詮は糸に操られてる。本当の意味で自由に飛んでるわけじゃないんだ旅人は、嘉明は凧を自分自身と重ねているのではと推測したが、申鶴は以下のように述べた。もし我が凧だとすれば、我にとって糸はとても大切な存在だ。それは大切な人との絆を意味する。それから…その繋がりはとても細く、遠く離れたものではあるが…もし糸がなければ、我は帰るべき場所を失ってしまうだろう。その後、旅人とパイモンは嘉明と父・との関係について抱えている問題を閑雲に話した。葉徳は家業である茶葉に関する商売を継がせたいと考えていた。しかし、嘉明はを発祥の地とする民俗のに対して情熱を注いでいた。閑雲は弟子達と仙人の友人達の助けを借りて、嘉明と葉徳を和解させる計画を立てた。彼女は葉徳と嘉明の一行が璃月港に向かう道中で襲撃し、嘉明が応戦している間に葉徳を誘い出し、閑雲と申鶴で家族の幸せな場面を演じて見せた。また、道中でのためにいくつかの凧を飛ばして試していたと出会った。鍾離と葉徳はすぐに親交を深め、鍾離は少しだけ寛容な心で嘉明を見守ってはどうかと提案した。先ほどの古い友人はこう言っていた。もし子供が夢に向かって外の世界を歩みたがっているのなら…糸を引っ張りつづけては、凧が落下してしまうだろう、と。全てが閑雲の計画通りとまでは行かなかったが、葉徳は改めて嘉明の成長に気づき、歩み寄りを見せた。そして嘉明は海灯祭の夜、葉徳を含む多くの観客を前にし、水面で獣舞劇を披露した。葉徳はその劇を見た後、素晴らしかった、そして嘉明は自身にとって本当にいい子だと伝えた。そして嘉明の獣舞劇を生業にしたいという決断を尊重した。私が言いたいのはだな…「難しい」というのは客観的な事実に過ぎないということだ…重要なのはお前の決断、お前の夢、そしてお前の行動だ。この凧も、もっと高い所へ飛んでいくべきだ。シャルロット以外にも、、、、も璃月に訪れていた。璃月七星のは閑雲の計画と、璃月とフォンテーヌの共同事業に貢献したシャルロットに凧を贈り、そこには自作の誌が添えられていた。「風立ちぬなか紙片折りて、亭の欄干にもたる。幾重の夢のなか紙鳶贈りて、絶雲の峰で出づる抱負。清き汀で荻花眺むること、今ここに願わん。」関連項目:5. 春光が描く桃符5-1.とが参加した五回目の海灯祭ではが祀られた。の物語によると、の時代、には神山があり、そこには大きな木——「」という名の魔神がいたと言われている。当時の人々は、桃都の背後には死者の地があり、生前に多くの重い罪を犯した魂は、その木を越えて彼岸に辿り着くことはできないと信じていた。およそ二、三千年前のこと、人と仙人あわせて八名の八奇仙が突然現れ、彼らは大きな法陣を描いて桃都を「」した。桃都は衆生を気にかけ、幽冥を平定するために甘んじて「煉化」していなければ、八奇どころか、八仙が来たとてどうすることもできなかったと考えられている。その後、桃都は、他の無数の妖魔と共に軽策山の無妄引責密宮で浄化された。その際、という秘術が用いられた。その後、桃都の神骸は地脈に沈み、璃月の生と死を隔てる境界となった。そして、人々は数千年間、桃都の新たな姿である境界を守ってきた。、、——これら八名を合わせて「八奇」と呼ばれる。彼らは大きな力を持っていたが、その多くが人間だった。帰蔵三隠の一人、万象風角霊官は、に住む十二の民の出身で、など藍氏一門の奇門法術はすべて彼から受け継がれた。帰蔵三隠の二人目、雲来釣爺は不思議な釣りの技を身につけていた。が用いる雲来剣法、それよりも前の雲来古剣法はみな、雲来釣爺の釣りの動きから変化したものだと言われている。帰蔵三隠の最後の一人、無妄童子は別名「無妄の翁」ともいう。子供のような見た目をした隠者で、岐黄の呪符を使って妖魔を払い、病を癒す力があったとされている。往生堂の創始者たちは無妄童子に師事していた。連山二賢は、瓢箪使いのと、銅鏡使いのの二人である。二人に関する記録は少なく、連山の秘術を学んでいたことだけが知られているため、連山二賢と呼ばれている。石門の南の山奥に隠された密宮があって、そこは彼らが残した道場だと言われている。桃都三妖は、桃都三仙とも呼ばれ、桃都の山で修行していたことからそう呼ばれた。桃都三妖は、、の三名で、いずれも神通力を持ち、人間の姿になれる存在だった。玄鳥は燕で、月駒は白い馬だ。冥蝶は、桃都の煉化の法陣の儀式の際に、八奇における唯一の犠牲者となった。玄鳥は万象風角霊官と共に旅に出て、月駒は姿を消したとされている。しかし、で登場する、軽策山の白い馬が彼女だと考える者が多くいる。彼ら八奇はそれぞれ神通力を持っていたが、桃都のような尋常ならざる魔神を浄化するのは容易ではなかった。そこで、彼らは八門七門の陣という秘術を使う必要があった。八門七門の陣とは、八門の中から、邪気を払うための門を一つ選んで、地脈の力を借りて身を消すことで、邪気の退路を塞ぐものだ。冥蝶は、犠牲となる一門を担うことになり、この世を去った。しかし、八奇仙の一人、無妄童子は冥蝶を慕っていたため、彼女の伝承を継ぎ、往生堂の創始者たちに受け継がせた。このようにして、冥蝶は幽冥を平定するために命を犠牲にし、偶然にも後世に法術を残し、その後継者は今も生と死の境界線を守っている。彼女は亡くなったが、璃月を守る意志は二、三千年の時を経た今も受け継がれているのだ。往生堂の法術は、生と死の均衡を保つためのものであり、胡桃は「守り人」として境界を維持する最も重要な責任を負っている。「三怪の赤 碧を染め 八門の屍 霜を被る」「月下に小舟を呼び寄せて 鈎を手に取り砥柱とならん」「剣は泡沫 生は運命 魂すらも残すこと莫れ」「兵を携え鉄馬を駆りて 天をも駆けよ真の傑物」「佩玉砕き琴掻き鳴らし 筑をも撃てよ真の英雄」「この身死すとも 言葉無くとも 大儀の川は流れゆく」「灯火は消えぬ 我が身朽ちても」5-2. 海灯祭の約一か月前、総務司は軽策荘のお年寄りが、謎の症状を発していることに気付いた。彼らの症状は病気というよりも、老化が進んでいた。その半月後、往生堂の堂主であるが、の生と死の境界に異変が起きている可能性について報告した。そのため総務司は調査を開始し、無妄の丘一帯で異様な気配を察知した。遡ること十数年前に、同様に無妄の丘で境界に異変が発生していた。当時の往生堂の堂主であった胡桃の父は、護摩の秘法を使って境界から漏れ出た死気を焼き払おうとしたが、死気に触れすぎてしまい、そのまま亡くなってしまった。彼の失敗は、彼自身の命だけでなく、村の大半の人を巻き込み、無妄の丘は日差しの届かない荒んだ場所になってしまった。十数年が経ち、娘の胡桃が再び起こった異変を調査するために境界に向かったが、閉じ込められてしまった。さらに、無妄の丘で薬草を採集していたと、胡桃を追いかけて来たのも、一緒に閉じ込められてしまった。七七は穴を塞ごうと洞窟の穴に挟まってしまい、藍硯は引っ張り出そうとして、二人して中に落ちてしまった。胡桃は、何度か出口を見つけてそこに向かったが、空間が絶えず変化し、たどり着く前に出口が閉まってしまう状況だった。璃月七星の天権であるから救助のために派遣されたとの助けによって、ようやく三人は脱出できた。境界の状況悪化を認識した胡桃は、単に死気を焼き払うのみでは不十分であると判断し、「」を使うことにした。璃月には「」と呼ばれる、地脈の八つの重要な結節点——、、、、、、、——が存在する。これらの八門には地脈の力を導く力が秘められている。「」は法陣を発動するための条件を指す。八門の中から邪気を払う門を一つ選び、地脈の力を借りて身を消す——つまり邪気と共に地脈に消え、死ぬことで邪気の退路を封じるのだ。伝統的な解釈では、儀式の成立には術者が命を落とす必要があるとされていたが、胡桃は術者が強力な死気に耐え抜くことができれば、命を失う事態は回避可能だと主張した。儀式に備え、璃月七星は八門すべての場所を特定しようとした。奇門の法術では、地脈が人間の暮らしと深く関わり、人間の活動の影響を受けると説かれているため、八門の位置は時間と共に変化するものだった。生門は、万物の再生と繁栄を司る大吉の門とされており、遺瓏埠に位置していた。この門には、璃月七星の玉衡であるが向かった。杜門は「平門」で、身を隠すのに適した門であるため、小吉とされることもある。場所は奥蔵山にあり、この地はが隠居するのにぴったりな場所で、が向かった。驚門は昔から大凶の門として知られ、殺戮の地に位置していることが多い。この門は、孤雲閣に現れた。孤雲閣は、時に岩王帝君が鎮めた妖魔が封印されている場所で、南十字船隊の船長であるが向かった。そして、傷門は刑傷を司り、死門、驚門と並んで三大凶門の一つである。そのため、に位置づけられた。層岩巨淵は、五百年前のに見舞われ、の先祖と護法夜叉が共に戦い、命を落とした地である。夜蘭は、過去に巨淵の危険性を知る経験があったことから、この傷門に向かった。一方、景門は荻花洲に位置しており、これは燃え盛る炎を象徴しており、万物に光が届き、成長し繁栄するという意味があるため、小吉とされることもある。この門には降魔大聖が向かった。残りの門のうち、休門は軽策荘に位置し、不卜廬からのが向かった。開門は璃月港にあり、が担当した。そして最後の門である死門はが担当した。死門は最も危険な門とされている。赤き花の咲く時に舞い、晴れと雨の狭間に憂う。其の血の如き色に留り、花弁の上の眠りに寄り添う。花燃えて、塵と化す。…冥蝶、一縷の香りを残して。死気の負荷を八門に分散するため、籐人形職人の藍硯は胡桃を模した籐人形を八体作り、八門にいる全員に配った。この人形には胡桃の死気を分散させる奇門法術が込められている。藍硯は旅人にも渡そうとしたが、旅人がであり地脈に情報が含まれていないため、陣に繋げられなかった。凝光が海灯祭の開始を宣言し、璃月劇の看板役者であるの演目と共に、胡桃の儀式が開始した。胡桃は自身が生還できない可能性を覚悟しつつも、璃月を守る目的を果たすため、儀式を遂行した。胡桃が生と死の境界で、亡くなった父親と祖父と再会した時、旅人によって救出された。この結果は、鍾離の助言に基づくものであった。旅人は、地脈に繋がらない自身の降臨者としての特性を逆手に取り、死門が閉じられる際に地脈の力によって「消される」必要がないと気づいた。これにより、伝統的な陣法の「死」という代償を回避した。儀式が執り行われると、死気は人の世から消え失せ、病人たちの体調は元に戻った。昏睡状態にあった飛雲商会の当主でさえ目を覚まし、健康の証として大量に食べ始めたという。二日後、旅人は不卜廬で目覚め、知人たちが皆見舞いに訪れた。儀式の前、胡桃は死を覚悟し、友人たちに吉語銭を配り、旅人には別れの贈り物として梅の枝を渡していたが、ついに海灯祭で友人たちと食事をするという約束を果たした。…今年も佳節は巡り来て、新たな桃符で市開く……過ぎし昔も尊けれども、今朝は昨日に勝るなり。関連項目:
出典: HoYoWiki (HoYoverse)